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過程を楽しむ

 先日、コンビニで、脳科学者の中野信子さんの著書を買ってきました。

 その中で「知能テストを受けて、結果を褒められた子供は、結果にこだわるあまり、65%の子が、次の難易度の高い挑戦を避けたり、挑戦を楽しんでいない。また、評価を守るために、約4割の子供が、うその報告をする。過程を褒めた子は、約90%の子が、次に難易度の高い問題に挑戦するのを、厭わない」そうです。

 合氣道修行者として、考えさせられました。だって、私達、合氣道修行者は、他人に勝つとか、優勝するとかの、「結果」を考えていないですよね。私に限って言えば「昨日より今日、今日より明日、明日より明後日の向上を目指して、今の稽古に集中して、過程を積み上げるのが楽しい」で、稽古を続けています。

 多くの方が、稽古自体を楽しんでいる事と思います。

 昇級、昇段審査が結果と言えば、言えるかもしれませんが、あれは、竹の節みたいなもので、次に成長していくために、しっかりとした節が無いと、成長できないので、過程の中の節目だと思っています。

 競技でしたら、どうしても、結果が求められて、トップアスリートなんかが、「引退してから、漸く、楽しめるようになりました」とは、よく聞く話ですが、「道」の付く日本文化は、過程の積み重ねで、終わりがないものなのでしょうし、それ程、結果に拘らないものかもしれません。

 過程の積み重ねとして、結果が表れてくる、と思っていると、それ程のストレスは、感じなくて済むかもしれませんし、現れた結果に、狂喜したり、極端に落胆する事も無い様に思います。

 私には、ちょっと、変わった癖があって、石器時代の人間なら、どの様に考えただろうと想像する癖があります。何故なら、人類の歴史は600万年と言われ、農耕が始まったのが1万年前、文明が始まったのが、せいぜい5千年前で、私達の心も体も、石器時代に適応するために出来ているそうです。となると、狩猟や採集で生きていた訳で、狩猟や採集が、上手くいくかどうかなんて、殆ど運任せ、最初から結果(例えば、今日は、必ずイノシシを10頭捕るぞとか)を目標に出来る訳がない、きっと、神に祈って、やるだけの事をやるだけ、だった筈です。それが原点だと思うと、何となく、腑に落ちます。

 現代社会は、便利で快適になった分、結果が目的になりがちで、心を病む人が増えているのは、必然かもしれません。

 そんな中で、合気道を始め「道」の付く日本文化は、過程への集中を大切にしていますから、その役割は、小さくない筈です。

 結果が目的ではなく、過程を積み重ねて行くと、結果が表れて、その結果に、更に過程を積み重ねる、と思うと、楽しいですよね。

 

 

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