最近、片岡鶴太郎さんのインタビュー動画をYouTubeで見る機会があり、今はヨガ瞑想を1日5時間位されているそうです。
芸人から始まり、ボクサー、俳優、絵画、ヨガと多才な方ですが、インタビューでは「僕は趣味はありません、趣味程度にやっていたら楽しくないじゃないですか」と答えてみえて、どれも真摯に真剣に取り組んでいるのだなと思わされます。
インタビューの中で集中とか三昧と言う、禅瞑想の用語が出てきて、以前、参加させて頂いた多田師範の講習と重なる部分が多いです。
絵を無心で描いていたのを後からヨガの先生から「絵画が動的瞑想だったのでしょうね」と言われたそうです。多田師範が「芸術でも、武術でも、町工場の職人さんでも一流になれるかどうかは三昧状態に入れるかどうかにかかっている」と仰っていたのと重なります。
また、ドイツの哲学者で「弓と禅」の著者のオイゲン、ヘリデルは著書の中で集中、瞑想状態の大切さを書いています。少し長いですが引用します「師匠と呼ばれる達人は揺るぎない徹底さをもって、事前準備を行うのです。墨絵の達人は弟子たちの前で筆を吟味し、慎重にそれを準備した後、入念に墨を刷ります。また、生け花の達人は教授の初めに、先ず、花の枝を束ねている麻ひもを慎重に解き、これを丁寧に巻いて傍らに置きます。では、何故、こういった単純な作業を弟子たちに任せないのでしょうか。それは彼らが、準備と言う行為が芸術的創造にとって必要不可欠な要素であることを知っているからです。瞑想的な静けさの中で準備を行い、全てのエネルギーの調和を整え集中状態に入る、それなくしてはまっとうな作品は創れない、そう思っているからこそ、師匠たちは徹底的に準備を行う慣習に強いこだわりを持っているのです」
私も、本稽古の前に1時間位は事前準備をするので、この文章を読んだ時には我が意を得た気になりました。本当にその通りです。
以前この記事にした脳科学者の茂木健一郎のゾーン、フローの条件。時間を忘れる。自分と課題が一つなって自分を忘れる。集中とリラックス。課題自体が喜びとなる。
鶴太郎さんも「ヨガの時間は決して苦行ではなく快楽です」と仰っていますし、多田師範も「お互いが喜びを感じるような稽古が大切」であると仰っていますし、茂木さんも自分でフローを回せれば人生が喜びで薔薇色になる」と仰っています。
私も、事前準備を入念に行い稽古に集中して、いつも言いますが、毎回新鮮で楽しいです。
片岡鶴太郎さんのインタビュー動画を見て、点が線になってきた感がありますし、稽古の方向性を再確認できたのと、これからも精進していく気持ちになれたのを有難く感じます。
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