前回のブログで書いた通り、今回より、熊野古道小辺路の旅の様子を書いていこうと思います。
11月8日にこちらを立ち、この日は移動日に当て、和歌山県橋本市のビジネスホテルに宿泊です。
高野山までの参詣道「町石道」は、次の駅、九度山からなのですが、九度山に適当な宿泊施設が無かったです。
ビジネスホテルには食事をする施設が無いので、近所の居酒屋のビール1杯無料券を頂いたので、晩御飯を食べに居酒屋に行きました。その居酒屋、建物も年季が入っていれば、お客さん達も年季が入ったお店で、今時分、禁煙の飲食店が多い中、タバコの煙と臭いの店内は、昭和の雰囲気でした。
普段あまりこう言った場所に出入りする事が無いので、新鮮には感じたのですが、こう言う所の常連になるのはちょっとヤバそうな感じでした。
私が職場以外で行く場所は、道場、ジム、山ですが、どこも自助、自力で自分を鍛える所で、そうなると、そこにいる人達もそう言った雰囲気、オーラがある人達になります。
私は初期仏教の考え方に共感を覚える人間なのですが、原始仏典の中で、お釈迦様が「愚者と交わるな、賢者と交われ」とか「人はその友のようになる、友と交わるとは、そう言う事である」と付き合う人間には慎重である様に繰り返し仰っています。居酒屋さんにいる人達と道場、ジム、山で会う人達の雰囲気、オーラを見ていると、なるほど、そうかも知れないと、納得しました。
次の日9日は、夜明け前に起きて、始発に乗って町石道の出発地、九度山に向かいます。山は日のあるうちが勝負ですから、山に行く時は、仕事の日よりも、朝稽古の日よりも早く起きる事になります。
高野山までの参詣道、町石道は九度山町の慈尊院から始まり、高野山金剛峰寺まで、一町、約109メートルごとに180基の石柱が建っています。鎌倉時代に建てられたそうですから、相当古いです。
途中、四国八十八カ所巡礼を終えられた、私より一回り位年長の方とお会いして、この方は、4年間かけて、四国を回られたそうで「歩いているのは、外国人か、私みたいに仕事をリタイヤした人間か、何か悩みがあってい歩いている人か、時間のある若にお兄ちゃんやな」と仰っていました。
初日の丁石道、高野山まで標高を稼ぐのですが、それ程の急登は無く、緩やかな道が続いていますが、その分、距離が長く、21.7キロと初日ですが、距離としては一番長かったです。お蔭で、後半は足の付けの痛みが出て、騙し騙しの歩行となりました。おまけに、高野山の山門「大門」から宿まで、アスファルトの舗装された道で、登山靴は山の道を歩く事に特化した靴で、アスファルトを歩くと、足に来ます。
痛む足で何とか初日の行程を終えました。
左は町石道の起点、慈尊院の最初の180丁目の町石。右はこんな感じで、一町(約109メートル)ごとに立っています。丁石には数字が刻まれていて、高野山に近づくにつれ、数字が減っていきます。
高野山の山門「大門」右下に映っている人を見ると、その大きさが分かると思います。
ここから宿までの舗装された道は、足に堪えました。
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